・演劇にとって発音は大事だから発音矯正レッスンを受講した

・1年間苦労しながら特待生になった

・ブロードウェイ俳優として活躍したり、アクティングコーチの仕事もしている

 

舞台俳優として活躍されていたKotoba Danさんは、怪我をきっかけに、俳優から指導者になるべくNYの演劇学校に通われました。NYの演劇学校に行かれる前にサウスピークにも留学に来ていただいいた縁で、今回インタビューをさせていただきました。だんさんの英語学習やNYでの演劇学校、そして今後について伺いました。

怪我をきっかけに留学をすると決意する

-こんにちは。よろしくお願いいたします。

こんにちは。よろしくお願いします。

-だんさんに、お話を聞くために少し調べました笑
まずは、怪我をされてアメリカに行くことになったということについてお話をきけますか?

そうですね。
怪我をしたことがもちろん、アメリカに行くことのきっかけではあったんですが、実は、もともと自分の中に10年ごとくらいに新しいことをしてみたいという気持ちもありました。

怪我をする前は、自分ではなになのかもはっきりしていなかったし、実際に行動することはなかったんですが、30歳を過ぎてそろそろ、なにか新しいことをそろそろしたいなという気持ちは持っていました。

ありがたいことに役者の仕事は、収入も安定していたし、自分のやりたいことだったし、名声もある仕事でしたので、辞める理由がまったくありませんでした。でも、大きな怪我をして舞台に立ち続けることができなくなってしまった。そのときに、「役者ができないんだったら、なにするの?」って神様に聞かれたように思いました。それだったら、なにか違うことをやろうとなりました。

– それで留学を決意されたんですか?

そうです。昔、クラシックバレエをしていたんですが、そのときにも周りの子でフランスやロシアに留学に行く人たちをみてきました。だから、海外に行くのもいいなという気持ちもどこかにありました。

あと、日本にいると誰と話しても、やっぱり怪我の話になってしまうんですよね。そういうのを一度リセットしてみたいという気持ちもあったかもしれません。

演劇学校入学前の英語学習

– それで留学を決めたんですね。でも、どこに行くかは決めていたんですか?

一度、父の仕事の関係でNYに行くことがあって、その時日本で以前演劇書を読んで感銘を受けた「ウタ・ハーゲンテクニック」を学べる学校に2週間授業の見学に通ったんです。その時、行くならこの学校だなと思っていました。

でも、そこの学校に行くためには英語がもちろん必要でした。当時は、「ハロー」と「サンキュー」しか言えないレベルだったので 笑

– 入学するにはどのくらいの英語力が必要だったんですか?

その演劇の学校「HB Studio」というところなんですが、出願の参考基準としてTOEFL70とありました。ただ実際問い合わせたところそれは足切り点数ではなく、TOEFL/IELTS等の世界基準の英語試験のスコア提出と、英語での一人芝居のビデオオーディション、母国での経歴書、志望動機の英語作文、演劇関係者からの英語推薦書等の提出が必須で、それらを総合的に見て判断するとのことでした。

– なるほど。ハローとサンキューだけだと少し難しそうですね 笑

セブ島でのだんさん

そうなんです笑
そこで、英語の勉強を始めました。2ヶ月くらい語学留学をして、日本でも英語の勉強をともかく詰め込みました。最初はTOEFLを受けようと思ったんですが、開催数が少なく、これはいくらなんでも無理だと思い、TOEICに切り替えました。

学校からも「国際基準のテストであればよい」とのことだったので、TOEICがアジアでは主流だという説明とTOEIC/TOEFLの換算表を願書に添付することにして、日本で模擬試験・本試験共に多数行われているTOEICの点を上げることに集中しました。その結果、TOEIC780点まで取れるようになりました。

– すごい。ちょっとそれは普通の人にはできないことだと思います。そのあと、留学前にサウスピークにも留学しに来てくれました。

そうです。HB Studioに願書を出し終えたので、英語の発音を鍛えようと思いサウスピークに留学しました。

– サウスピークでは1週間の留学でしたがどうでしたか?。

サウスピークの発音矯正はやっておいてよかったです。
演劇学校では、音声学の勉強もしたのですが、事前に発音記号の知識がついていたので助かりました。

– 音声学まで学ぶとは大変ですね。

そうなんです。演劇の世界にはアクセントコーチという職業があるくらい、発音は大切なんです。
例えば、アメリカに住んでいるが、もともとはイギリス出身の人という役だったりするとイギリス訛りの英語を話したり、またはロシア語訛りの英語が必須の役者を求められたりすることもあります。だから、音声学を学ぶ上で、発音記号の知識があったのは助かりました。

あと、サウスピークの留学でよかったことですが、キュービクルが一人一つついて来たのは本当によかったです。集中して勉強できる環境でしたね。もう一つ、学習計画表もよかったです。あの学習計画表をNYで生活を始めたあともずっと使っていました。いつも生活の中でどの時間を使って英語の学習をしようかと考えていたんですよ。

サウスピークで提供している学習計画表

-それは嬉しいです。ちょっとでもお役に立ててよかったです。

NYの演劇学校での生活について

-サウスピーク留学後についにNYの演劇学校「HB Studio」に行かれたわけですね

そうです。
サウスピークに留学中に合格通知が届きました。それで、2015年の9月にNYに行きました。

-アメリカでやって行くのは最初大変じゃなかったですか?

最初の1ヶ月くらいは気持ちもハイになっているので、大丈夫だったのですが、そのあとくらいからやっぱり大変でしたね。例えば、学校で与えられる課題の論文を英語で読んだりしないといけないんですよね。

-論文も読んだりするんですね。

そうですね。例えば、腹式呼吸に関する論文とか。英語でびっちり書かれた20枚くらいの紙を渡されるんですけど、学術論文なので英単語が三つに一つくらい知らない単語だったりしました。

あと、台本も英語で読まないといけないのは大変でしたね。自分がでる部分が10分だけでも、全体の関係がわからないと演技ができないので、結局全部読まないといけない。読むだけですごく時間がかかりましたね。

-本場でアメリカ人と一緒にやろうとすると英語がやっぱり大変ですね。

先生からフィードバックを貰っているところ。

本当にそうです。文法的に正しくない言い回しだったり、スラングだったり、慣用句だったり、実際に行かないとわからないことも多いですね。あと、文化的背景というか、たとえば、急に台本の中にアメリカの有名人が出て来たりすると、本当に困ります。

その人が例えば、日本で言うところの「みのもんたさん」みたいな人だったとした時に、インターネットで調べれば名前もわかるし、やって来たこともわかるんですけど、アメリカ人がどのようにその人を受け止めているかということがわからないとダメなんです。

最初の頃は、知り合いもいないし、聞ける人がいなかったのも辛かったですね。でも、初めの3ヶ月は学校になれることを目標にしていたので、どうにかなった。目標を低めにしたのでよかったと思います。

-やっぱり苦労されたんですね。

そうですね。最初はやっぱり大変でしたね。ただ、いつまでも、まだNYに来たばかりだからという言い訳をしているわけにはいかないなと思っていました。それで、2年目に上がる時に特待生になるための選考を受けることにしました。

それで、10人だけが選ばれるんですが、その中の一人として選ばれました。

-すごい。アメリカ人ばっかりですか?

いや、アメリカ人は10人中7人で、台湾人2人と私でした。この10名のクラスで1年間過ごしたことで鍛えられましたね。喧嘩もするし、一緒に泣いたり、アイデアを出し合ったりとともかく1日中10人で過ごしました。先生も厳しくて、英語が苦手ならアメリカ人の100倍やりなさいといわれて。

HBスタジオ特別コースの仲間と

あと、自分自身も日本でプロとしてやって来たという自負があるので、周りのメンバーに甘えを感じる時は、私ならこうするとはっきり伝えました。英語の面では助けられることもありましたが、逆に精神的な面では周りのメンバーにいい影響が与えられたと思います。

同期のアメリカ人の子にも「あなたがメンバーにいてくれて本当にラッキーだった」と言ってもらえました。この一年の経験があって、英語で深い話ができるようになったり、成長しましたね。

-ネイティブの世界でいきて行くのは本当に大変なことだと思っているので、すごいなと思います。学校以外の生活はどうでしたか?

2年目からは学校以外にも、舞台での演出のアシスタントをしていました。学校を卒業したあとは、オフブロードウェイに俳優として舞台に出たり、アクティングのコーチをしたり、ダンサーのためのアクティングレッスンをしたりしています。

ラママシアターでのオフブロード作品Distant Observer の舞台写真

-すごく活躍されているんですね。

ありがたいことにオフブロードウェイで出演した作品に関しては、NYタイムズで劇評をいただくこともできました。

今後の活動について

-今後もNYで活動を続けられる予定ですか?

今後は、日本で演劇のコーチや演出の方で仕事をできればと思っています。将来的には、アメリカでもヨーロッパでも場所に関係なく仕事ができるようにしていきたいと思っているのですが、私の場合は日本でのキャリアもありますので、そこで一度キャリアの再構築をしていければと思っています。

だんさんが出演されたオフブロード作品Distant Observer の舞台写真

演劇の世界ってセンスが大事みたいに言われたり、精神論とかになってしまうことが多いのですが、こちらで学んだ演劇の指導理論だともっと細かく技術指導が行えるんです。それを使って、もっと日本の若い人に指導ができればと思っています。

-最後の質問です。NYに来てよかったですか?

そうですね。よかったです。特にNYのいいところは世界中からアーティストがくるところですね。
その人たちと繋がることができたので、どの国にも知り合いがいるという状態になれました。あと、演劇の学校に通っている人でも母国では実はすごく有名という人も多くいて、そういうコネクションができたことは大きいと思います。私も日本でキャリアを再構築して、将来的に彼らと一緒に仕事ができるようになれれば最高だなと思っています。

-本日はありがとうございました。

まとめ

舞台俳優から指導者へとキャリアの再構築に挑むだんさん。英語を利用して演劇の聖地で学ぶだんさんに、サウスピークが少しでもお役に立てたなら嬉しいです。これからの益々の活躍に期待しています。