
はじめまして、サウスピーク「海外就職準備プラン」の総責任者で、本プランのキャリア面談を担当する神農 亮(かんの りょう)と申します。本記事では、自己紹介をするとともに「どういう想いで海外就職サポートをしているのか」を説明させてください。
「外に出たい」23歳で海外就職、インドネシア・ジャカルタへ

私は兵庫県の田舎町で生まれ育ったこともあり、幼い頃から漠然と「外に出たい」と感じるようになりました。大学卒業後は上京し、飲食系のベンチャー企業に入社します。急成長している企業内で一定の成果を出した一方、無理のある働き方をせざるを得ませんでした。満員電車で会社に向かい、家に帰れずネットカフェで寝泊まりする日々。「このままでは体が持たない」と感じ、転職活動を開始したのです。
今振り返ると、当時の日本では震災や不景気など暗いニュースばかり。仕事のこともあり「日本社会」にやられていたのだと思います。だからこそ「どうせ辞めるなら、海外へ行こう」と決意し、インドネシア・ジャカルタで働くことになりました。

そのときの英語力は、大学受験レベル程度。それに渡航前、当時流行していたオンライン英会話サービスを90時間ほど受講し「えいやっ」とインドネシアに渡ったのでした。あのように思い切って飛び込んで、良かったと感じています。
インドネシア・ジャカルタでは、法人営業担当として、日本企業の新規開拓、既存顧客のサポート強化に邁進しました。そのかたわら、日々の学びを発信する目的で、個人ブログを立ち上げます。ありがたいことに、海外就職を目指す人たちの目に止まるようになりました。その活動の中で100名以上に及ぶ海外就職希望者のお話を伺い、また他の国で働く海外就職者の相談も受け続けたのです。相談内容の多くは「海外に出たいが、どうすればいいかわからない」「海外就職したけど、モヤモヤする」といったものでした。

そこで私は、「幸せな海外就職人生を実現するためには、どうすればいいのだろうか」と考えました。私が当時出していた答えは、「海外就職の入り口をどうにかするしかない」と考えていたのです。
インドネシアでの法人営業の仕事には満足していましたが「海外の生活で学んだことを誰かに伝えていきたい」という思いを持つようになりました。
自分だからこそ。「海外就職準備プラン」という答え

そんなときに、声をかけてくれたのが語学学校サウスピークでした。当時、日本人スタッフは社長と私を入れて4名。現場は問題が山積していました。ストレスが貯まったからなのか、寝ていたときに自分の歯ぎしりで「わっ!」と目が覚めたこともあります。新卒で入社したベンチャー企業とは、また違った困難の日々を味わいました。

そのような中、主に生徒の学習相談を受けつつ、留学体験談というコンテンツのインタビューを通して、150名以上の英語学習者に向き合ってきたのです。
そして思います。
「英語学習者の気持ちを学び、海外就職者の当事者の気持ちも学んだ私が今、できることはなんだろうか?」
その問いに対する自分なりの答えが「海外就職準備プラン」です。
英語を習得した後に、どうキャリアに活かしていくのか。この「英語の先の部分」を埋めることで、一人ひとりの人生はより輝き、日本の国力も向上すると本気で考えています。そして、その「英語の先」こそ「海外で働くこと」なのです。

私自身、海外で働くことを通し、自分なりの志が持て、やりがいある仕事と向き合えています。海外にいるからこそ、日本の社会に対する当事者意識を感じて、その解決に力強く踏み出すことができるのだと思います。ジャカルタにいた時も、セブ島にいたときも、当然、日本人はマイノリティの存在でした。そして、現地の文化の荒波にさらされます。
生活においても、仕事においても、今までに培ってきたものが通用しなくなる。「自分は何だろう?」「日本人ってなんだろう?」という命題が突きつけられます。日本の友人に連絡をしても、この生の現状を共有することは難しい。「自分とは何か?」という問いに対して、自分自身のアタマとカラダで答えを導くしかありません。この孤独に向かい合った先にこそ、一筋の光が見えてくるのだと思います。

「海外で働く日本人は、どうあるべきか?」
海外では、当事者意識を持ち”日本人”としての振る舞いと成果が求められます。自ら海外就職を経験し、日本人として働き、英語学習者としても四苦八苦した身として、海外就職希望者のみなさまのために、できることを「海外就職準備プラン」で是非サポートさせてください。
キャリアコンサルタント 神農亮
(次の記事へ)なぜ今、アジア海外就職なのか?~日本人がアジアで働く理由~
海外就職準備プランの詳細はこちら↓
